橿原市の平安~江戸時代

更新日:2023年03月28日

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和銅三年(710)、藤原京から平城京(奈良市、大和郡山市)に遷都した後、多くの人々は平城京へ移り住み、もとの居住地は田畑に開墾され、整備された街並はその姿を変えていったことでしょう。
平安時代、都が京都に移ると奈良は、より一層の地方化が進み興福寺や東大寺などの寺院は荘園を増やしていきます。
鎌倉時代になると、興福寺は大きな勢力を持ち、在地の実力者を家来とした武士団が成立しました。
室町時代から南北朝時代には、市内北部では十市氏が、南部では越智氏が二大武士団の中核をなしていきます。
江戸時代になると、室町時代に「寺内町」として成立した今井町が商業都市として発展を遂げ、横大路(伊勢街道、初瀬街道)と下ツ道(中街道)の交叉点に当たる札の辻を中心とする八木町も大和の重要な交通路として発展します。

区画ごとに色の違う地面が見える曲川遺跡の航空写真
地面に長方形の棺がある新賀・木原遺跡の木棺墓の写真
地表に遺跡が出土している興善寺跡の航空写真
平地に十市城跡の主郭部分が見える風景の写真
山がなだらかな稜線を描く貝吹山城跡遠景の写真

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文化財保存活用課
奈良県橿原市川西町858-1(歴史に憩う橿原市博物館内)
電話:0744-47-1315
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