新賀・木原遺跡
(しんが・きはらいせき)
東方約400メートルには耳成山があり、北側に隣接して米川(よねがわ)が西流しています。新賀・木原両町にまたがっており、新賀町旧集落の西部域に位置します。
発掘調査は集落跡の一部にしか及んでいなませんが、その内容は、曲物を枠に利用した井戸や方形土坑、木棺墓、大溝などがあります。
鎌倉時代(13世紀)の大溝は幅3メートル、深さ0.8メートル、長さ20メートル以上の規模をはかり、その水は北隣する米川へ流れていたものと考えられます。大溝を境としてその東側には多くの遺構が存在するのに対し、その西側は希薄な状況です。
また、この大溝の東に隣接した場所に平安時代末(12世紀末)の木棺墓が一基確認されました。規模、構造は長辺(南北)1.6メートル・短辺(東西)0.6メートルの隅丸長方形の墓壙(ぼこう)内に、その大部分が腐食して明らかではないものの、木棺が据えてあったものと思われます。墓の北小口部分には中国製の白磁碗1点と土師器の坏・身2点が副葬品としてありました。特に土師器は片方の坏を蓋にしたいわゆる、盒(ごう)のような使われ方をしていました。また、人の頭部(左側頭部)骨と歯が散在していたことから、死者を北枕で葬ったことも窺えます。
この他に平安時代前半(9世紀後半)の土坑から緑釉陶器(りょくゆうとうき)の三足皿や鎌倉時代(13~14世紀)の井戸や土坑から瓦器碗なども出土しています。

白磁碗(はくじわん)と土師器の坏・身

緑釉陶器(りょくゆうとうき)の三足皿

木棺墓
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更新日:2023年03月28日