新沢千塚古墳群の概要

更新日:2023年06月15日

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(にいざわせんづかこふんぐん)

橿原市の南西部に位置する新沢千塚古墳群の全景を上空から撮影した写真

【国指定史跡】

かつては「川西千塚」、「鳥屋千塚」と呼ばれていましたが、今日では新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)として広く知られています。
新沢千塚は総数約600基からなる古墳群で、日本を代表する群集墳(ぐんしゅうふん)でもあります。古墳群は、市南側で高市郡高取町との境界となっている貝吹山(かいぶきやま)から四方に派生する尾根のうち、北西方向に伸びる低い丘陵上に立地しています。
新沢千塚に古墳が造られ始めたのは4世紀の終わり頃、今から1600年ほど前です。市立新沢小学校の南に位置する500号墳や、県道の南側に位置する213号墳が初期に造られた古墳であることが確認されています。その後、6世紀の終わり頃までの約200年にわたって古墳が造られ続けました。そのうち最も多く古墳が造られた時期は、5世紀後半から6世紀前半にかけての100年間です。
1960年代、新沢千塚一帯の丘陵地に開墾計画がもちあがったことをきっかけとして、古墳群全体の約2割にあたる約130基の古墳の発掘調査が行われました。この調査によって多くの成果があがりました。遠くペルシャや中国、朝鮮半島からもたらされた副葬品が出土した126号墳の調査はその代表的なものです。
調査の成果をうけて、新沢千塚は1976年(昭和51年)に国の史跡に指定されました。現在は保存整備が行なわれ、古墳群の中を散策することができるようになっています。

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