四分遺跡

更新日:2023年03月28日

ページID: 3691

(しぶいせき)

四分遺跡は飛鳥川右岸、藤原宮跡の西南部に位置し鷺栖神社(さぎすじんじゃ)の東方に立地します。1971年(昭和46年)、奈良文化財研究所によって藤原宮跡の下層より弥生時代前期・中期・後期におよぶ溝、竪穴住居、井戸、土坑、水田、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)の遺構が検出されました。このことから東西250メートル以上、南北400メートル以上の範囲に広がる大規模集落跡であったと考えられています。これまでの調査では前期の遺構は少なく、中期から後期に入ると遺構の密度、遺物の出土量も飛躍的に増加する傾向から、集落はこの時期に急速に発達したと考えられています。遺物は、土器、石器、木製品、骨角牙製品などが数多く出土していますが、なかでも、全国的にも数例しか確認されていない銅鐸形土製品(どうたくがたどせいひん)や小型坊製鏡(こがたぼうせいきょう)の断片、絵画土器が出土しています。四分遺跡に近い日高山(ひだかやま)山麓付近と旧鴨公(かもきみ)小学校にも弥生時代の遺跡があります。とくに、醍醐地(だいごいけ)底から弥生時代後期の土器、石器が多量に出土しています(醍醐遺跡)。さらに、藤原宮東北隅に位置する橿原市法花寺町(ほっけいじちょう)(法花寺遺跡)においても弥生時代後期の土器・銅鏃が出土しています。

当時、集落があったこと様子が伺い知れる四分遺跡(しぶいせき)の調査風景の写真

調査風景

当時、正方形に区切られていた様子が伺える水田跡の写真

水田跡

黒に近い土色で特徴的な文様が彫られていたことがわかる小型坊製鏡(こがたぼうせいきょう)の写真

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奈良県橿原市川西町858-1(歴史に憩う橿原市博物館内)
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