初めての瓦葺きの宮殿

更新日:2023年03月28日

ページID: 3700

(かわらぶ)

瓦を葺いた建物は、飛鳥寺(西暦588年建立)に取り入れられて以降、寺院建築に採用されてきました。飛鳥時代にも宮殿を瓦葺にしようとする計画はあったのですが、実現はしませんでした。宮殿を瓦葺としたのは、藤原宮が初めてだったのです。藤原宮では、寺院を建立(こんりゅう)する際に必要な枚数をはるかに超える約200万枚とも言われる量の瓦が必要となりました。この瓦作りを支えたのが、瓦作りの技術の発達だったのです。これまで熟練(じゅくれん)の技を必要とした瓦作りが合理化し、熟練した工人(こうじん)でなくても、瓦をつくることが可能となったのです。これによって、大量の瓦が供給される体制が整ったのです。
しかし、藤原宮で使用する瓦は200万枚。とても近隣の瓦窯(がよう。瓦を焼く窯のこと)で生産できる量ではありませんでした。そこで、宮のすぐ南側にある日高山(ひだかやま)や奈良盆地のあちこちで瓦を生産しました。平群町(へぐりちょう)の安養寺瓦窯(あんようじがよう)や大和郡山市(やまとこおりやまし)の西田中瓦窯(にしたなかがよう)・内山瓦窯(うちやまがよう)、御所市(ごせし)・高取町(たかとりちょう)の高台・峰寺瓦窯(こうだい・みねでらがよう)などがそれにあたります。
これらの窯で瓦を生産したにもかかわらず、瓦の生産が間に合わなかったため、藤原宮に瓦を供給するために、和泉国(大阪府)や近江国(滋賀県)、讃岐国(さぬきのくに)(香川県)などからも瓦を作り、運び込んだのです。しかし、当時の瓦は1枚で10キログラムを超える重さがありました。製作した瓦を藤原宮に運び込む労力は相当のものだったに違いありません。

藤原宮が初めて宮殿を瓦葺した瓦葺の宮殿の屋根の写真

瓦葺の宮殿の屋根(奈良文化財研究所蔵)

丸型と弓の弧の字型の重厚感のある軒瓦(安養寺瓦窯)の写真

軒瓦(安養寺瓦窯) 奈文飛

丸型と弓の弧の字型の重厚感のある軒瓦(日高山瓦窯)の写真

軒瓦(日高山瓦窯) 奈文飛

丸型と弓の弧の字型の重厚感のある軒瓦(高台.峰時瓦窯)の写真

軒瓦(高台・峰寺瓦窯) 奈文飛

丸型と弓の弧の字型の重厚感のある軒瓦(西田中瓦窯)の写真

軒瓦(西田中瓦窯) 奈文飛

丸型と弓の弧の字型の重厚感のある軒瓦(久米寺瓦窯)の写真

軒瓦(久米寺瓦窯) 奈文飛

この記事に関するお問い合わせ先

文化財保存活用課
奈良県橿原市川西町858-1(歴史に憩う橿原市博物館内)
電話:0744-47-1315
お問い合わせフォーム

みなさまのご意見をお聞かせください
このページの内容は分かりやすかったですか?
このページは見つけやすかったですか?
このページは役に立ちましたか?
その他、このページに関してご意見がありましたらご記入ください。
橿原市からの回答が必要な場合は、直接担当課へ連絡されるか、問合せメールフォームでお願いします(こちらに入力されても回答できません)。また、住所、電話番号などの個人情報はこちらには入力しないでください。