ようこそ、奈良・橿原へ~橿原市にまつわる6つのモチーフ~

ようこそ奈良橿原へお越しいただきありがとうございます。
皆様、奈良県橿原市そして日本女性会議2025橿原にようこそお越しくださいました。
日本女性会議2025橿原で参加者の皆様へお配りしたトートバッグ、そして同封のポストカードには橿原市にまつわる6つのモチーフが描かれています。
このページではそんなモチーフが示す橿原市の見どころポイントをご紹介します。
橿原の魅力を知って、日本女性会議2025橿原の後も、またぜひ橿原に訪れてみてくださいね!
トートバッグデザイン制作:奈良芸術短期大学
▼上段左から
1.橿原市市章
2.大和三山
3.今井町の「駒つなぎ」
▼下段左から
4.藤原宮跡
5.昆虫館
6.藤原宮跡に咲くコスモス
1.橿原市市章
橿原市の市章は市の頭文字「カ」をかたどったものです。
また、上部の羽型はトビが大きく羽ばたいている様子を、下部の円形は融和・平和と平和に発展する古代文化の都を表しています。
市章がトビを表している理由、それは『日本書紀』に載る「金鵄(キンシ)」と呼ばれる金色に輝く鵄(トビ)が神武天皇を助けたという伝承によるものです。
金鵄に助けられ大和平定を果たした神武天皇が第一代天皇として即位した地が現在の橿原市であると言われており、橿原市の市名も神武天皇が即位した際に造営した「橿原宮(かしはらのみや)」に由来しています。
橿原市内には現在、5か所に金鵄のモニュメントが設置されています。橿原文化会館の最寄り駅である大和八木駅の北側と南側にも1基ずつ設置されていますので、見つけた方はぜひ、市名の由来に思いを馳せてみてください。

また、「橿原宮」があったとされる場所に創建されたのが「橿原神宮」です。神武天皇をご祭神としてお祀りしており、約53万平方メートルもある広大な神域は荘厳で静謐な空気に包まれています。
2.大和三山
平成17年に名勝指定された大和三山は、市の中央の平地にぽっかりと浮かぶようにそびえる香具山、畝傍山、耳成山の3つの山の総称です。特に香具山は神々が鎮まる山として古来より神聖視されてきました。いずれの山も標高200メートル未満の低山で、気軽に登ることができます。
大和三山に囲まれた平地部分には、藤原京の中心であった藤原宮(ふじわらきゅう)が造営されていました。この藤原宮の造営にあたっては、大和三山との位置関係が重要視されていたと考えられています。藤原宮のあった場所は、現在は国指定の特別史跡として保存されており、大和三山への優れた眺望が望めます。
また大和三山を詠んだ和歌は多く、特に『万葉集』には中大兄皇子や柿本人麻呂の和歌をはじめ、持統天皇が詠んだ「春過ぎて 夏来るらし 白たへの衣ほしたり 天の香具山」などの有名な和歌が多数収められています。
香具山

畝傍山

耳成山
3.今井町の「駒つなぎ」
今井町は、室町時代末期に寺内町として始まり、江戸時代に商業の中心地として発展した歴史的な地区です。 多くの古民家が現存する今井町の町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けており、東西約 600 メートル、南北約 310 メートルの地区内に約 500 件の伝統的建造物が存在しています。これは地区内の伝統的な建物の数としては日本一を誇ります。
伝統的な建物がずらりと並ぶ町並み、地区を取り囲むように設けられていた環濠跡、屈折している通り、牛馬をつなぐための「駒つなぎ」など、今井町の建物造りに商業が繁栄し、外部からの侵入者を拒絶し独立した自治都市を築いた歴史が表れています。
今も町家の外観に残る鉄製の輪「駒つなぎ」は今井町のシンボルとしても使用されており、町内には駒つなぎがデザインされたマンホールや石板も設置されています。
現代にはない重厚な雰囲気の町の光景は、まるでタイムスリップしたかのよう。映画やテレビドラマ、CM の撮影にも使われるほど風情ある町ですが、今も多くの住民の方が暮らしている“生きた町”です。はるか昔の生活に思いを馳せながら散策すれば、きっと時間も あっという間に過ぎるでしょう。
駒つなぎ

蘇武橋

旧米谷家住宅

今井まちなみ交流センター華甍
4.藤原宮跡
藤原宮跡は、約1300年前の694年から16年間、日本の首都であった「藤原京」の中心に据えられた宮殿「藤原宮」の遺跡です。
藤原京は天武天皇が造営をはじめ、その妻の持統天皇が遺志を継いで完成させました。中国の条坊制を取り入れた日本初の都で、その大きさは後の平城京や平安京を上回る規模であったと言われています。
藤原宮の内部には大極殿(だいごくでん)や朝堂院(ちょうどういん)などの儀式と政治の中枢となる施設や天皇の住まいである内裏(だいり)、行政の実務をおこなう、官衙(かんが。今の役所)などがおかれていました。藤原宮は、今の皇居と国会議事堂、霞が関の官庁街を1つにしたような場所で、まさに政治の中心地でありました。
藤原宮で政治が行われた時期の歴史上の大きな出来事としては、日本初の体系的な法律「大宝律令」の制定(701年)や「和同開珎」の発行(708年)があります。また、この時代に唐に渡った遣唐使が初めて「日本」という国号を使いました。藤原京が営まれたのはわずか16年間ですが、日本の律令国家成立に非常に大きな役割を果たした舞台といえるでしょう。 これらのことから、人類史上でも価値の高い文化遺産として、世界遺産への登録をめざしている「飛鳥・藤原の宮都」の中心的な構成資産の1つにもなっています。
藤原宮跡は現在、朱塗りの列柱による門や土盛りによる大垣(塀)の位置が復元表示されているのみで、首都として賑わった当時の姿を想像するしかありませんが、季節の花々を楽しめる花園、大和三山の眺望スポットとして地元の人々に親しまれています。


5.橿原市昆虫館
「見て、聞いて、触って、感じる」をコンセプトに昆虫の不思議を楽しく学ぶことができる体験型昆虫館です。チョウが羽を休めている姿をイメージした放蝶温室では、亜熱帯の花や植物のなかで10種類500頭以上のチョウが優雅に舞い、その姿に癒されます。
昆虫になった気分を体験できる標本展示室や、昆虫の生態を親しみながら観察できる生態展示室、情報コーナーや珍しい昆虫の生態が見れる特別生態展示室など、充実した展示をお楽しみいただけます。



昆虫館外観

6.藤原宮跡に咲くコスモス
現在、藤原宮跡では、菜の花やハナハス、コスモスが地元の方々の協力のもと植栽されており、その季節ごとに大地を彩る花園としても親しまれています。秋は約2万4千平方メートルの広大な敷地に4種類約240万本のコスモスが咲き誇ります。

コスモス
ハナハス(夏)

菜の花(春)
この記事に関するお問い合わせ先
人権政策課
奈良県橿原市内膳町1-6-8(かしはらナビプラザ)
電話:0744-21-1090
お問い合わせフォーム
更新日:2025年10月03日