石川廃寺
(いしかわはいじ)
現在の石川池(剣池)のほとりから畝傍中学校のある丘陵の西を中心とする地域には、古代の寺院があったと考えられています。この寺院跡は石川町にあることから、石川廃寺と呼ばれています。
石川廃寺は伽藍配置(がらんはいち)を含めて、どのような寺であったのかは分からないのですが、藤原京右京十二条三坊の調査では、大量の瓦を含む整地土が確認された他、焼土坑(しょうどこう)、鋳型(いがた)、フイゴの羽口(はぐち)など、鋳造(ちゅうぞう)に関連する遺構が見つかり、この地域に寺院などの瓦葺(かわらぶき)の建物が存在したことが分かっています。
石川廃寺の西側は、石川精舎(いしかわしょうじゃ)の推定地とされています。藤原京右京十二条四坊西北坪の調査では、飛鳥時代に瓦片を大量に含む土で大規模な整地をし、その後に造られた石組暗渠(いしぐみあんきょ)や掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、池状の遺構などが見つかりました。また、整地土の下からはうちわの柄(え)と考えられる木製品が出土しています。
古道である阿倍山田道沿いは、飛鳥時代にはまさに一等地といえる場所であり、石川廃寺や石川精舎など、いくつもの飛鳥時代の重要な遺跡が眠っていると考えられますが、その実態の解明は今後の課題といえるでしょう。
なお、阿倍山田道は現在の県道橿原神宮東口停車場線飛鳥線がほぼそれに当たると考えられています。

石組の暗渠溝(北から)

出土木製品
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更新日:2023年03月28日