軽寺跡
(かるでらあと)
国道169号線の東、史跡丸山古墳が築かれた丘陵頂部の北側で大軽町の集落の中に位置しています。
軽寺は出土瓦から飛鳥時代の創建と考えられ、「日本書紀」朱鳥(しゅちょう)元年(686年)八月の条に、「桧隈寺軽寺大窪寺各封百戸限三十年」(桧隈寺・軽寺・大窪寺それぞれに30年を期限として寄進する)との記事があります。
主要伽藍は現在の法輪寺本堂を中心とした範囲と捉えられているが、法輪寺境内に金堂および講堂と推定される土壇を残すのみです。土壇の位置や地形から法隆寺式ではないかと考えられています。また寺域は法輪寺本堂のある丘陵の一部が周辺より2~3メートルほど際立っており、寺域が及んでいた可能性があります。

軽寺跡遠景(航空写真)
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更新日:2023年03月28日