益田池の堤
県指定史跡
平安時代に造られた益田池の範囲は、畝傍山の南、久米寺の西南一帯の高取川流域に広がる現在の橿原ニュータウンの地域をさすものと考えられています。
益田池の堤は、貝吹山から北に派生している鳥坂神社の位置とする尾根と鳥屋橋のある久米台地の西南先端部との狭い間をせき止めたもので、その間はほぼ200メートルほどです。その規模は幅約30メートル、高さ8メートルですが、残存部分は少なくなり、長さ約55メートルに当時の面影を留めているに過ぎません。その姿は、益田池児童公園で見ることが出来ます。
1961年(昭和36)4月、高取川河川改修工事の際には、川底から樋管が2箇所で出土し、現在、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に展示されています。
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奈良県橿原市川西町858-1(歴史に憩う橿原市博物館内)
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更新日:2023年03月28日