益田池の堤

更新日:2023年03月28日

ページID: 3890

県指定史跡

平安時代に造られた益田池の範囲は、畝傍山の南、久米寺の西南一帯の高取川流域に広がる現在の橿原ニュータウンの地域をさすものと考えられています。

益田池の堤は、貝吹山から北に派生している鳥坂神社の位置とする尾根と鳥屋橋のある久米台地の西南先端部との狭い間をせき止めたもので、その間はほぼ200メートルほどです。その規模は幅約30メートル、高さ8メートルですが、残存部分は少なくなり、長さ約55メートルに当時の面影を留めているに過ぎません。その姿は、益田池児童公園で見ることが出来ます。

1961年(昭和36)4月、高取川河川改修工事の際には、川底から樋管が2箇所で出土し、現在、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に展示されています。

この記事に関するお問い合わせ先

文化財保存活用課
奈良県橿原市川西町858-1(歴史に憩う橿原市博物館内)
電話:0744-47-1315
お問い合わせフォーム

みなさまのご意見をお聞かせください
このページの内容は分かりやすかったですか?
このページは見つけやすかったですか?
このページは役に立ちましたか?
その他、このページに関してご意見がありましたらご記入ください。
橿原市からの回答が必要な場合は、直接担当課へ連絡されるか、問合せメールフォームでお願いします(こちらに入力されても回答できません)。また、住所、電話番号などの個人情報はこちらには入力しないでください。