橿原市の飛鳥~奈良時代 詳細

更新日:2023年03月28日

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飛鳥時代は飛鳥(明日香村)が政治の中心で、飛鳥の周辺には多くの寺院や役所、邸宅があります。この時代の市域には、中ツ道や下ツ道、横大路や阿倍山田道といった幹線道路(古道)が走っているほか、舒明天皇(在位629~641年)の田中宮や、蘇我馬子が建立したと伝えられる石川精舎の推定地などがあります。飛鳥時代も終わり頃になると、天武天皇(在位672~686年)が橿原の地に新しい京の造営を始めます。そして694年(持統8)12月に持統天皇(在位690~697年)が飛鳥浄御原宮から藤原宮に遷り、藤原京が政治の中心となります。
藤原京は中国の都をモデルにした日本最初の都市です。現在確認されている規模は、東西5.3キロメートル、南北4.8キロメートルで、京のほぼ中央には一辺約1キロメートル四方の藤原宮があります。藤原京では日本で初めて碁盤目状の道路が造られ(条坊制)、道路で整然と区画された街並みには計画的に宅地や寺院が造られます。また藤原京では、「和同開珎」が鋳造された他、「大宝律令」の制定や官庁組織としての「二官八省制」の整備などがおこなわれ、法で国を治める律令国家として歩み始め、奈良時代以降、現代まで通じる政治の基盤が整えられます。
しかし、一方で藤原京は疫病や悪臭など、深刻な都市問題に悩まされています。都市問題以外にも様々な原因はあったのでしょうが、藤原京はわずか16年でその役割を終えます。藤原京に住んでいた役人たちは、新しい京である平城京に移ってしまい、藤原京にあった施設では本薬師寺などの限られた寺院のみが残ります。また、納税された稲などを収納・管理する役所である香山正倉といった施設が新たに設置されますが、藤原京は水田などに利用され、その姿を消していったのです。

奈良文化財研究所蔵 飛鳥時代から奈良時代に作られた仏像の写真

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