市場のにぎわいと人々のくらし

更新日:2023年03月28日

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藤原京の人口は2~3万人と、当時の日本では最も人口が集中した場所でした。しかも、そこに住む人々は貴族や役人、その家族などで農民はいませんでした。そのため、京内で必要な食料や品物は全て市場で手に入れる必要がありました。
藤原京には、「東市」と「西市」の2ヶ所の官営(かんえい)の市場があり、「市司(いちのつかさ)」が管轄(かんかつ)していました。市のあった場所や規模や構造はわかっていませんが、平城京を参考にすると、市は藤原宮の北側にあり、約265メートル四方で南に門が開いていたと考えられています。
市の開く時間は正午から日没までで、それぞれの店は、店名と商品名を札で掲げる決まりとなっていました。店で売るものは、食料品から土器や布などの日用品、工芸品から漆や鉄製品まで様々でした。当時は貨幣での買い物だけでなく、物々交換もおこなわれていました。お金の価値は、1文(和同開珎銅銭1枚)で米1升が買える程度でした。
市場では物資の売買がおこなわれたばかりでなく、公開処刑や雨乞い(あまごい)も行われました。市場は単に買い物をするだけの場所ではなく、人と人、人と神を結ぶ公共施設としての性格も強かったのです。

一本の紐に、円形の古い貨幣が何枚も通されたものと、その手前に、中心に四角い穴が開いた古い貨幣が3枚置かれている写真。

奈良文化財研究所蔵
和同開珎の発行─無文銀銭・和同銀銭・和同銅銭

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