貴族の屋敷と庶民の住まい

更新日:2023年03月28日

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藤原京遷都に先立ち西暦691年(持統5)12月、藤原京における宅地班給(たくちはんきゅう)の基準が決定しました。宅地の広さは身分によって細かく定められ、最も広い宅地から4町(ちょう)、2町、1町、2分の1町、4分の1町となっていました。実際にはさらに小さい8分の1町の宅地も見つかっていて、宅地面積の差は単純にみると32倍もの格差があります。具体的には、貴族は1町以上、下級役人は1町未満で、宅地は家族数や納税額によって分けられていました。
また、貴族の邸宅には、正殿(せいでん)や脇殿(わきでん)、後殿(こうでん)といった建物や倉庫が整然と建ち並んでいたことが発掘調査でわかっています。これに対し、8分の1町の宅地では、建物の配置に規則性がなく、数棟の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)と塀(へい)、それに井戸が見つかるのみの宅地もあります。
さらに、藤原宮の近くには大きな宅地が多く、宮から離れるにしたがって小さな宅地が多くなる傾向にあります。身分の低い役人は、小さな家から遠くにある役所に出勤していたのです。
これだけを聞くと、不公平もはなはだしい、と思うかもしれませんが、最も狭い8分の1町の宅地でも面積約1,800平方メートル、550坪近い宅地だったのです。皆さん、この宅地の広さをどう思われますか?

長方形に仕切られた塀の中の敷地に、多数の長屋建築と、畑や樹木などを再現した模型の写真。

奈良文化財研究所蔵
右京七条一坊の貴族の屋敷(復原模型)

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