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橿原市の概要

更新日:2023年03月28日

ページID: 10604

橿原市の位置

橿原市を中心とした周辺の地図

橿原市は、奈良県のほぼ中央に位置し、東西7.5キロメートル、南北8.3キロメートルの広がりを見せ、東は桜井市、西は大和高田市、南は高取町・明日香村、北は田原本町と接しています。面積は39.56平方キロメートルで、全体的に起伏が少なく、市内の中央部には飛鳥川、西には曽我川が流れています。また、万葉の時代を偲ばせる「大和三山」(畝傍山:標高199メートル、耳成山:139メートル、香久山:152メートル)がそびえ、その中央には約1300年前の首都、わが国初の本格的な条坊制の都城・藤原京の宮跡「藤原宮跡」があります。その他、市内には歴史的文化遺産が点在しています。鉄道網ではJRと近鉄が縦横に走り、あわせて13の駅があり、また国道24号・165号・169号と道路網も発達し、大阪からは30~40分、京都からは約1時間、関西国際空港からは約1時間、名古屋からは約2時間と交通の便も良く、また、京奈和自動車道の完成に向けた工事も進んでいます。古代から交通の要となっています。

市制

橿原市は、昭和31年2月11日に6町村が合併し、奈良県下で5番目の市として発足しました。当時38,560人であった人口も、今や約12万人となっています。

市名は初代神武天皇が、畝傍山の東南に「橿原の宮」を造って即位した伝承から付けられたと言われています。

市章

真ん中に円があり上に羽があるトビをモチーフにした市章

市章(市のマーク)は、市の頭文字「カ」を表象し、上部の羽型はトビの雄飛を表し、下部の円形は融和・平和を表し、平和に発展する古代文化の都を表しています。
(昭和31年9月5日制定)

市の木

大きな1本の橿の木

市の木は「橿の木」で、非常に堅く年中緑を保ち、大木として成長するところから、発展を重ねる市を表しています。縄文時代の橿原遺跡からは、イチイガシの巨樹根や食料だった大量のドングリが出土しており、たくさんの橿の木があったことが分かっています。
(昭和51年10月1日制定)

市の花

白色で小さいくちなしの花がたくさん咲いている様子

市の花は「くちなし」で、香りが高く純白で清浄な花です。この花は、古代、耳成山に群生していたと伝えられています。
(昭和51年10月1日制定)

市の色

市の色は「白色」「緑色」「茶褐色」です。
(昭和52年7月1日制定)

市の色「白色」を表した丸の画像
市の色「緑色」を表した丸の画像
市の色「茶褐色」を表した丸の画像

市歌

市歌は「虹染めて」です。作詞は駒井瞭、補作詞・作曲は東祥高です。
(平成14年2月11日制定)

橿原市民憲章

(平成14年2月11日制定)

市の歴史

古代

区画した街区が描かれた藤原京

本市およびその周辺には、縄文時代から地域の拠点となるような集落が点在していたことが確認されており、5~6世紀頃には日本建国神話の舞台を形成し、そして7世紀には「藤原京」が、南北18条、東西20坊の町割りの制度「条坊制」により大小の道路によって区画した街区があったことで知られており、当時の人口は2~3万人を擁した我が国最初の本格的計画都市でありました。
「藤原京」はわずか16年で首都としての機能を終えましたが、本市周辺では今でも藤原京時代の道路跡がいくつも発見されており、後に経済の中心地として発展する大阪への交通利便性の高いまちとして、中世・近世・現代を通じて都市として発展しつづけました。

中世・近世

今井町の夜の古い町並みの写真

古代の条里制を基にした骨格道路である「横大路・下ツ道」がお伊勢参りや熊野詣の人々などで賑わい、整然と区画された農地によって構成される「農村集落」や、外敵からの襲撃を避けるために集落の外周部に濠を巡らした「環濠集落」が形成されました。なかでも、一向宗の寺内町として建設された「今井」や現在の市の中心部でもある八木は商業・金融で栄えました。

近代

正面から見た橿原神宮

日本建国ゆかりの地として「橿原神宮」が建立され、これとほぼ時を同じくして鉄道網の整備が始まりました。鉄道整備にあたっても、古来からの東西南北の交通の結節点としての位置付けが改めて確認されました。

現代

橿原市の空と現代の街並みを写した様子

戦後、高度経済成長期に突入し、都市部への人口集中による地価高騰から、郊外の都市において、住宅需要が高まってきました。こうした需要に応えるために、多くの戸建住宅が建設され、郊外にも多くの店舗が出店し、賑わいを見せました。
近年、少子高齢化、人口減少が進み、2000年(平成12年)の約12.5万人をピークに2023年(令和5年)1月には12万人を下回り、1993年(平成5年)以来の11万人台となっています。
人口減少を克服すべく、デジタルを活用し、「仕事の場づくり」「魅力づくり」「子育て」「健康・安心」のまちづくり(地方創生)を進めています。

都市宣言

  • 建国文化都市(昭和37年)
    橿原市議会で、以下のとおり建国文化都市宣言が決議されました。
    「古代文化に華を咲かした時代をはじめ、国民の奉仕や献木などにより形作られた自然群。これらは先人の偉大なる精神と善意による日本的伝統のたまもの。建国の地としてふさわしく、この伝統を継承し、花と緑に囲まれた国民の憩いの環境と静かなまちを作っていくことが、将来にわたって橿原市民に課せられた最大の使命であり義務である。」
  • 非核平和都市(昭和61年)

姉妹都市

宮崎県宮崎市

1966(昭和41)年2月11日、姉妹都市の盟約を交わしました。2016(平成28)年には盟約50年を迎えました。宮崎市には多くの神話の舞台があり、神武建国の古い縁を通じて姉妹都市となりました。締結以降、互いの市を訪問しあい、市民・行政・文化・経済・災害復旧といった様々な分野で交流を行ってきました。市役所本庁舎前には、昭和56年6月に宮崎市から「本庁舎増改築工事の完成を祝って」贈られたフェニックス(カナリーヤシ)があります。

友好都市

中華人民共和国河南省洛陽市

2006(平成18)年2月11日、友好都市の盟約を交わしました。洛陽が藤原京造営のモデルとなったという説があり、その縁から交流が始まりました。民間レベルでは昭和58年から交流がありました。

この記事に関するお問い合わせ先

企画政策課
奈良県橿原市八木町1-1-18(市役所本庁舎)
電話:0744-21-1108
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