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(しじょうこふんぐん)
四条古墳群は畝傍山の北東麓、現在の四条交差点付近に位置する古墳群です。現在までに12基の古墳の存在が確認されています。これらの古墳は地上に墳丘の痕跡すら留めていない埋没古墳で、発掘調査によってはじめてその存在が明らかになりました。これらの古墳は藤原京の造営に伴って墳丘が削平され周濠も埋められてしまったようです。
古墳群の形成は古墳時代中期前半に始まり、以後、後期前半にかけて100年ほど古墳の造営が続きます。古墳は墳丘規模が10m程度の小規模なものから、全長40m程度のものまであります。墳形も円墳、方墳、造り出し付方墳、帆立貝式古墳と多様で、同一の古墳群内でも差が見られることが特徴です。
四条古墳群発見の嚆矢となった1号墳は、中期末に築かれた一辺約29mの方墳で西側に長さ約9mの造り出しをもちます。周濠内からは円筒埴輪に混じって人物、馬、猪、家、盾などの形象埴輪、さらに笠、翳(さしば)、盾、鳥、剣などの木製品が多数出土しています。とくに多量の木製品は古墳の葬送儀礼を復元する上で貴重な資料です。
四条古墳群から東に数百mの地点に位置する四条遺跡【大田中地区】は、古墳群と同時期の集落跡です。両者は密接な関係にあったと想定されます。
奈良県立橿原考古学研究所所蔵
四条1号墳
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