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(ひだかやまこふんぐん と おうけつぼぐん)
藤原宮跡の正面(南側)には日高山(ひだかやま)という低丘陵が存在します。日高山には5世紀中頃から6世紀には古墳が、6世紀から7世紀には横穴墓が複数築かれています。
これらの墓の一部は藤原京の時代に日高山が朱雀大路(都のメインストリート)の計画線に含まれた結果、削平されるなどして地上からその姿を消してしまいました。横穴墓の中には、この際に改葬されたことが明らかなものも存在しています。
古墳から横穴墓へと墓制が移り変わり、さらにそれらが藤原京の時代に改変されるという歴史の流れを一つの丘陵上で見ることができるのです。
奈良文化財研究所蔵
日高山横穴墓群
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