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植山古墳

(うえやまこふん)

航空写真

上空から見た植山古墳

上空から見た植山古墳

  • 植山古墳は、現在史跡公園整備中のため公開しておりません。

 

関連リンク

観光 > 植山古墳

 

調査地

奈良県橿原市五条野町2109-1他

調査期間

平成12(2000)年6月19日~平成13(2001)年3月30日(1次調査)
平成13(2001)年4月23日~同年7月31日(2次調査)

調査面積

約4,000平方メートル

立地

史跡丸山古墳と谷を一筋挟んだ南東-北西方向の丘陵の南斜面にある。
(丸山古墳後円部頂より東へ約450m、東周庭帯より東へ約230m)

墳形

墳丘主軸がほぼ正方位の長方形墳(東・西・北に壕が巡る)

規模

長辺・東西長約40m(墳丘裾での計測)なお、東西壕を含めると約55m
短辺・南北長約30m(残存部分での計測)
周壕の上幅約10m、底幅約1.6~3m

墳丘高

残存高約3~6m

墳丘構築法

丘陵斜面の地山を不整な直方体に削りだした(削り残した)後、その上部にカットした山土(地山層)などを突き固めながら、質の異なる土を交互に積み上げている。

外部表象

西・北壕の底に排水機能をもつ石敷きを施す。(石敷きは幅約1m、厚さ約0.6m)
使用石材は、結晶片岩(吉野川流域)と花崗岩(飛鳥川上流域)である。

埋葬施設

南側に開口する2基の横穴式石室(東石室・西石室)

古墳の築造時期

出土遺物や石室形態から東石室は6世紀末葉、西石室は7世紀前半頃

発掘調査の成果

  1. 終末期古墳の一要素である古墳北側背面をカットした山寄せの古墳である。
  2. 1墳丘2石室の所謂「双室墳」で、推古朝に限られる墓制である。
  3. 当初から二基の横穴式石室を併置するために、墳丘を長方形に築いている。
  4. 東石室の規模は、奈良県下の横穴式石室において上位にランク付けられる大きさであり、特に牧野古墳(広陵町)の玄室に類似している。
  5. 石室の構築には時期差(東石室-古、西石室-新)がある。
  6. 棺材石材に阿蘇石を使用した最も新しい時期の古墳である。
  7. 西石室の玄門部に設けられた閾石を伴う扉施設は、横穴式石室において他に類例がない。

 

東石室

東石室

東石室

家形石棺

家形石棺

 

開口方向

ほぼ南(墳丘南北軸に合う)

形態

両袖式

規模

全長約13m
玄室長約6.5m、玄室幅約3~3.2m、玄室残存高約3.1m
羨道長約6.5m、羨道幅約1.9m、羨道残存高約2.2m

石室石材

貝吹山周辺の花崗岩など

石棺

刳り抜き式の家形石棺(棺蓋・身が完存)。
棺蓋には6個の縄掛け突起が付く(各側面2、各小口1)。
石棺石材は、熊本県宇土半島で産出する阿蘇溶結凝灰岩(所謂、阿蘇ピンク石)である。

石棺の法量

全長約2.52m、
幅(南小口約1.58m、北小口約1.53m)
高さ約0.62m

棺身

全長約2.43m
幅(南小口約1.50m、北小口約1.40m)
高さ約1.1m

排水溝

玄室壁と石棺の間および羨道中央部に結晶片岩と花崗岩で施されている。

 

西石室

西石室

西石室

閾石

閾石

 

開口方向

南南東(墳丘南北軸に対して西偏約16度)

形態

両袖式(玄室・羨道床には結晶片岩が敷かれていたようである。)

規模

全長約13m
玄室長約5.2m、玄室幅約2.5~2.6m、玄室残存高約4.5m、
羨道長約7.8m、羨道幅約2~2.3m、羨道残存高約2m

石室石材

飛鳥川上流域・細川谷周辺の花崗岩

閾石(しきみいし)

玄門部の床に玄室と羨道を間仕切る閾石が置かれている。
閾石は、全長約2.5m・幅約1.3mの小判形を呈し、中央部の左右に幅約20cm、深さ約6cm、長さ約90cm・60cmの壁(板石)をはめ込む溝がある。

また、中央やや左には片扉の軸を入れる直径約21cmの軸受け穴が彫り込まれている。閾石は扉状施設の下部であると考えられる。

石材は、兵庫県揖保川流域で産出する凝灰岩(所謂、竜山石)である。

玄室内より阿蘇溶結凝灰岩の破片が数点出土しているが棺材は不明である。

排水溝

羨道中央部に結晶片岩と花崗岩を用いて施されている。

お問合せ

所属課室:教育委員会事務局文化財課

橿原市川西町858-1

電話番号:0744-47-1315

ファックス番号:0744-26-1114