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田中廃寺

(たなかはいじ)

田中廃寺は、蘇我氏系田中氏の氏寺として建立された寺院です。田中町の集落の西側にある法満寺(ほうまんじ)の付近が田中廃寺の中心地ではないかと考えられてきました。

しかし、発掘調査の結果、田中廃寺は法満寺付近ではなく、その西側にある「弁天の森(べんてんのもり)」付近に中心部分があるらしいことがわかりました。発掘調査で、回廊状(かいろうじょう)に並ぶ柱列や総柱建物(そうばしらたてもの)、四面庇建物(しめんびさしたてもの)などの建物や、大量の瓦片、梵鐘(ぼんしょう)の竜頭(りゅうず)の鋳型(いがた)といった鋳造(ちゅうぞう)関連の遺物が見つかったのです。出土した軒瓦(のきがわら)は、単弁蓮華文(たんべんれんげもん)軒丸瓦(田中廃寺式)だけでなく、山田寺式と同型の瓦や、藤原宮で使用された瓦、和田廃寺式と同型の瓦など、バリエーションに富んでいます。

このような様々な発見はあったものの、田中廃寺の伽藍配置(がらんはいち)はよくわかっていないのが現状です。また、寺域は藤原京造営の際、藤原京の都市設計に合わなかった塀や門を造り替え、建立(こんりゅう)当初よりも寺域(じいき)が狭くなっています。そして最終的には、北は九条大路、南は十条大路、東は西一坊坊間路、西は西二坊坊間路によって区切られる2町占地(せんち)であったと考えられています。

なお、田中廃寺の一帯は、舒明天皇(じょめいてんのう)が、飛鳥岡本宮(あすかおかもとのみや)が焼失した後、厩坂宮(うまやさかのみや)に遷るまでの間の仮宮とした田中宮(たなかのみや)があったと考えられています。田中廃寺は、宮があった地に後に造られた寺院と考えられています。現在は、田中廃寺の調査地は病院となっていますが、その南側には今も弁天の森を見ることができます。

第一次調査の航空写真

第一次調査(航空写真)

 

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