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明智光秀 今井郷惣中宛書状

(あけちみつひで いまいごうそうちゅうあてしょじょう)

【市指定文化財】

員数

1幅

形状・寸法など

紙本墨書、幅装(折紙改装)、楮紙

縦27.0cm、横44.5cm

年代または時代

戦国時代

1575年(天正3)9月27日

大坂石山本願寺を総本山とする一向宗は、興福寺勢力の強かった大和盆地へはなかなか進出できませんでした。しかし、天文初年頃、今井に一向宗門徒の説教所ができると、次第に勢力を占め、多くの信仰者を集めました。そして土豪牢人、富商を呼び寄せ、大坂に応じて小都市をつくるに至ったのです。

しかし、織田信長の進出以来、信長が本願寺と戦いを交えることとなり、今井も大坂に一味同心して、信長の武将明智光秀、筒井順慶の包囲軍と対峙しましたが、交渉の末、遂にこれに降服しました。

本書状は1574年(天正2)に信長から今井郷に対し降服勧告があったことを示しています。その条件とは土居構を崩し、土民の列に復帰し、武装しないということでした。

それは信長、光秀と緊密な関係にあった堺の豪商天王寺屋津田宗及が斡旋したもので、あったといわれています。本書状は宛名に「河瀬兵部丞殿」と加筆された部分を除けば、明智光秀の直筆です。

お問合せ

所属課室:教育委員会事務局文化財課

橿原市川西町858-1

電話番号:0744-47-1315

ファックス番号:0744-26-1114