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大官大寺跡

(だいかんだいじあと)

大官大寺は飛鳥・藤原地域で建立された古代寺院の中では最大の寺院ですが、現在は、香具山の南麓に広がる水田の中に碑(ひ)が建ち、その位置が分かるのみです。明日香村小山(こやま)および橿原市南浦町(みなみうらちょう)にありますが、伽藍(がらん)のほとんどは明日香村にあります。

大官大寺は、舒明天皇(じょめいてんのう)が発願した百済大寺(くだらのおおでら)を天武天皇(てんむてんのう)の時代に移築・改称されたとされています。しかし、出土遺物から見る限りでは、主要伽藍は全て藤原宮が営まれた時期でも後期に造られたことが明らかで、文武天皇(もんむてんのう)の時期に金堂(こんどう)を創建(そうけん)したと記す『扶桑略記(ふそうりゃっき)』の記述を裏付けています。

伽藍配置は、中門(ちゅうもん)・金堂・講堂(こうどう)が一直線上に南北に並び、金堂の南東に塔を配置する形態です。寺域(じいき)は東西約205m、南北約354mで、藤原京左京九条四坊の南半と藤原京左京十条四坊の全域におよびます。建物も非常に大規模で、金堂と講堂は同一規模・同一構造で、正面が約45mもあり、藤原宮大極殿(ふじわらきゅうだいごくでん)と並ぶものでした。また塔は、基壇(きだん)が一辺約35m、塔は一辺15mで、九重塔にふさわしい規模を誇ります。塔の高さは分かりませんが、平面規模が近い東大寺東塔は高さ33丈6尺7寸(約100m)でしたから、大官大寺の塔もこれに近い高さだったのでしょう。大官大寺の塔は、現在、日本で最も高い京都の東寺(とうじ)にある五重塔よりもはるかに高かったのです。

なお、大官大寺は金堂→講堂→塔→中門・回廊の順で造営されましたが、その完成を待たず、西暦711年(和銅4)に火災によって焼失した事が『扶桑略記』に記されています。発掘調査では、金堂と中門の垂木(たるき)が焼け落ちて地面に突き刺さった後も燃えていたことがわかり、火災のすさまじさを私達に伝えてくれています。

塔跡 奈良文化財研究所提供

塔跡 奈良文化財研究所提供

 

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