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1. 橿原市の建造物 2. 寺院建築 3. 神社建築 4. 武家屋敷 5. 民家・集落町並み 今西家住宅・豊田家住宅・上田家住宅・中橋家住宅 6. 音村家住宅・旧米谷家住宅・河合家住宅・高木家住宅 7. 吉村家住宅・山尾家住宅・森村家住宅・吉川禎一家住宅・旧吉川順作家住宅 8. 明治建築 |
橿原市の建造物 |
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橿原市は、我が国でも最も早く開けたところであり、藤原京は我が国で初めて本格的な都市計画が営まれた都であります。縦横に大路小路を碁盤目状に通し、条坊制により造営されています。宮のなかの内裏(だいり)や官衙(かんが)の建物などは大部分堀立柱であるが、中国風の建物を備えたものでした。市内の古代寺院の遺跡は数多いが、特に注目されるのは久米寺塔跡
があげられます。塔跡の上に江戸時代はじめに京都仁和寺から移築された多宝塔が建っていましたが、修理の際に移建し塔跡全体が明らかとなり、国分寺級の超一級の規模であったことが判明しました。本薬師寺は平城京遷都後も特別の由緒を以てこの地に残されたようです。 平安時代には政治の中心が京都平安京に移り、平安京及びその周辺では寺院や御所、貴族の大邸宅の造営が相次いでなされました。また、真言宗や天台宗の新宗教が広まり、宝塔または多宝塔と呼ばれる新しい形式の塔を建てだします。この時期南都諸大寺では一部の寺院は衰退に向かうが、東大寺や興福寺、法隆寺などでは復興が続けられました。鎌倉時代は奈良におい て建築活動が再び活発に進む時代であります。東大寺の再建に当たっては、従来の伝統的様式(和様)にこだわらず、中国南方系の奇抜・巧妙な建築様式大仏様が採用されました。また、この時代には栄西によって禅宗と呼ばれる新しい宋の正統の建築様式が用いられたが、これは和様とも大仏様とも大きく違う独特の建築様式でありました。平安時代・鎌倉時代を通じて市内 には建築遺構は現存しないが、中世には在地の豪族や村民によって各郷ごとに鎮守社と寺院が建立されるようになります。飯高(いだか)町の瑞花院(ずいけいん)本堂、小綱(しょうこ)町の大日堂はこの種の室町時代の遺構と言えます。 瑞花院本堂は典型的な密教寺院のかなり大きい仏堂で、構造手法には大日堂との類似点が多く認められます。和様を主体としながら、大仏様の影響もかなりあり、新和様の系統に続くもので、簡素な手法が用いられています。近世のものでも、今井町の旧常福寺観音堂をはじめ、各村々に鎮守社とならんでよくみられる小規模の仏堂にもこの系統をひく簡素なものがあります。 飛鳥・奈良時代の塔は三重・五重あるいは七重のような層塔であったが、真言宗や天台宗では層塔とは別に、宝塔や多宝塔と呼ばれる形式の塔がつくられ、市内には久米寺の多宝塔がその例となります。これは、京都仁和寺から移築されたものです。 平安時代後期に融通念仏宗が開かれ、鎌倉時代には浄土宗・浄土真宗・日蓮宗などの新しい宗派が開かれました。法然上人は元久年間(1204〜6)に南浦町に法然寺の前身小林院を開いて念仏道場としました。浄土真宗の祖親鸞上人も自ら大和を巡り、弟子の源海は建保五年(1217)新賀庄に順明寺を開きました。この寺は寛永以前には今井に移ったとみられます。曲川町の徳応寺も由緒は古く、貞永元年(1232)向原(こうげん)寺として建てられ、今井町では天正三年頃(1575)に称念寺が創建され、御坊町では慶長十年(1605)に信光寺が創建さけています。近世の浄土宗・浄土真宗の本堂は市内各地に残り、市内百十余ヶ寺のうち九割は浄土宗・真宗・融通念仏宗に属します。このほかにもさらに江戸時代後期から明治にかけて建立された寺院が多く、大規模の建物もあり、建立年代が下るとともに、彫り物の装飾がにぎやかになります。今井町の弥念寺本堂は本願寺派大和御坊としての格式を持ち、建立は近世初頭にさかのぼり、真宗本堂としては全国的にも古例に属するものです。御坊町の信光寺本堂(承応三年、1654)は大和五個所御坊に列し、称念寺とほぼ同規模、同形式の平面となっています。小規模真宗寺院の好例として吉野から移築された、南山町の浄福寺本堂(寛文六年、1666)があげられます。その他醍醐町の是信(ぜしん)寺本堂(明和六年、1769)や、多武峰の輪蔵を移築増改築した中町の浄楽寺本堂があります。浄土宗寺院では、江戸中期の安楽寺本堂・国分寺本堂があります。一町の浄国寺本堂は真宗寺院の廃堂を利用したもので、小規模ながら数少ない二重仏堂です。浄国寺本堂の組物は花肘木(はなひじき)で、東竹田町の大日堂(宝永三年、1706)、葛本町の安楽寺本堂(正徳二年、1712)、膳夫町の保寿院(ほうじゅいん)本堂(享保二十三年、1738)にもみられ、元禄頃から県下に流行したものと考えられます。 我が国の神社建築では伊勢神宮の神明造、出雲大社の大社造、住吉大社の住吉造などに古代の伝統的な神社形式をよく伝えているが、平安時代以降には、流造(ながれづくり)や春日造があらわれてきます。鎌倉時代以降、全国的な傾向として集落の鎮守社の遺構が多くなると言われています。このような社殿は、集落の人々によって建てられ修理維持されてきたものであり、一般に規模は小さいが、細部はよく時代の特徴をあらわし、大規模の社寺の建物に劣らずすぐれた技法を示すものが多くあります。市内の神社は宗教法人として登録されたものだけでも百社近くあり、その4分の1が延喜式内社となっています。県下は、興福寺・春日大社の支配下にあったことから、春日造の本殿が圧倒的に多く、ついで流造が散見するようです。地黄(じおう)町の人麿神社本殿は、室町時代初頭、康永四年(1345)の建立になる現存する市内最古の建築物で春日造です。その他、小綱町の入鹿神社本殿、十市町の十市御県坐(とおちそえみあがたにいます)神社末社五社神社本殿があります。流造本殿では江戸時代であるが、大久保町の生国魂(いくたま)神社本殿(寛文八年、1668)、土橋町の春日神社本殿(慶安四年、1651)が古い方に属します。 橿原神宮本殿は、本来神社建築として建てられたものではなく、江戸時代末、安政二年(1855)に京都御所が再興されたときの内侍所(ないしどころ)を神宮創立の際に下賜され、移築されて本殿としたもので、宮殿建築の気品をよくあらわしています。 橿原神宮内に移築されている旧織田屋形(橿原神宮文華殿)は、柳本織田藩邸の表向き御殿の一郭で、江戸時代末、天保十五年(1844)に建立されたものです。現存する部分は、表向きの大きい書院と玄関で、全国にも数少ないものです。 民家の本格的な調査が始められたのは戦後になってからのことです。組織的に民家の建築学的調査がおこなわれたのは、本市今井町が最も早いものであります。昭和三十〜三十一年の東京大学による調査により、今西家住宅で慶安三年(1650)の棟札が発見されたのをはじめ、今井町に古い上質の町家が多数残るとともに、町全体の保存状況も極めて良いことが確認されました。今井町はその後、昭和四十三年度〜四十六年度にかけ奈良国立文化財研究所と奈良女子大学が一層広範な調査を実施し、その結果、現在今西家住宅をはじめ8件が国、2件が県の文化財に指定されています。かつては、多くの町や村が伝統的景観を伝えてきたが、戦後になって次々とその姿を変えてしまいました。伝統的な集落・町並みは、かつて住民が多くの制約のなかで互いに環境を譲り合い共有し、それぞれの気候風土、町の性格などに応じて工夫して守ってきたものです。建築・都市計画の研究家や住民らによる町並み保存運動が昭和四十年代におこり、市町村では保存のための施政がとられだしたが、昭和五十年の文化財保護法改正の際、伝統的建造物群保存地区制度ができました。今井町は、昭和五十二〜五十五年度に総合的な調 査を実施し、その後の住民との話し合いの結果、平成五年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、歴史的環境を現在に生かしながら保存設備が進められています。また、古代から近代にかけて大和の重要な交通路であった横大路(伊勢街道、初瀬街道)と下ッ道(中街道)の交点に当たる札の辻を中心とする八木町もまた歴史的景観を良く残しています。 農家の多くは個々に散在するのではなく、数十戸がまとまって集落をつくっています。古代から集落としては久米や忌部(いんべ)、大軽(おおがる)があげられます。条里制地割に乗った集落としては膳夫(かしわで)町が最も著名と言えます。中世には、集落が庄園に組み込まれ、周囲を濠が廻る環濠集落が多く営まれました。市内には環濠集落の例が多く、飯高町・中曽司(なかぞし)町・葛本町見門等その環濠の一部が残るところも少なくありません。これらの集落内部の道は狭く、曲折が多いのが特徴であると言えます。農家は大和棟の主屋を中心に土蔵・納屋・長屋門など多くの付属屋がかまえとなる家が多く見られます。西池尻町・曽我町・曲川町には江戸時代に旗本の陣屋がおかれていました。市内には、森村家・吉川禎一家・吉川順作家などのように江戸時代中頃の民家のうちでも代表的なものがあります。その他、曲川町の堀家、小房(おふさ)町の森田家、新堂町の植田家、醍醐町の音羽家等があります。 最近では明治以降に建築された建造物についても文化財的関心がはらわれてきています。特に保存とともにそれらの建造物の活用が必要であると考えられます。市内には、県内でも数少ない新和風の旧高市郡教育博物館が平成二年に県指定となり、平成七年には、今井まちなみ交流センタ−として再生されました。その他、現在八木町の和歌山銀行があります。 |
| 橿原市教育委員会 教育総務部 文化財課 |
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